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erikumakoの闘病記《衝撃的なひとこと》

こんにちは! erikumakoです(*^^)v

ゲリラ豪雨やら、猛暑が毎日、襲っています。蝉も啼きつづけている。ようやく、”夏真っ盛り”っていう雰囲気。
このブログも季節を感じさせる、”かき氷のイチゴ味”にしてみました!
スポーツも高校野球選手権やリオ五輪が、開催され、水泳では、早くも表彰台センターに日の丸が。気持ちが明るくなります。
私も学生時代は、100m走や400mリレー(スターター)で、ちょっとは、大会に出たことも。
思い出の国立競技場が東京五輪の為に、取り壊されて少し、寂しい気がします。
五輪の中でも、やはり、陸上競技には、興味があるな。でも、再び、あんな風に走りたい、風を切りたい、前に走る選手を追い抜くときの興奮…たまりません。そんな複雑な思いにも慕ってしまいます。


まず、精神科受診の日がやってきた。
担当医に啖呵をきったものの、正直な気持ち、不安だった。自分の中では、蔑視しているとかそういう思いはなかったけれど、行ったことがない場所に行くということが、不安だった。何を聞かれるのだろうか?特別な薬でも処方されてしまうのか、本当に心因性と判断されたら、病棟も移動されてしまうのか…など。
不安げに診察室に入ると、男性医師が座っていた。優しそうな顔をしていたけど、こういうところだからかな?と、思ったりして。
結果…その医師と話をするだけで終わった。
生まれ育ちの環境や、発病当時の自分の思い、発病から手術後・今日までの自分の思い、これからの事、やりたい事、等々。
2時間以上、話した。
その結果、その男性医師が言ったこと…「別に処方する薬もないし、これからの診察は、どうされますか?」
私は「???」「私の意思で、この診察を受診しに来たわけでもないし、それについては、先生の方でご判断ください」と答えた。
すると「私が診る限り、あなたに”心因性の陰りは感じられない” 私の上司とあなたの主治医とで、相談します」だった。
『でしょう!今だって、5年間休んでしまっている、茶道や華道も復帰したいし、着物を自分でもう一回、着てみたい。車だって、ブンブン走りまわしたい!傘も箸もペンも持ちたいのよ!』と、心の声をその医師にぶつけた。
結局、精神科受診は、その一回で終診となった。

その数日後、神経内科より、針筋電図検査の日取りが決まった。
この病院で、この検査をするのは、2回目だったと思う。1度目の検査の時は、まだ、指先も開いていたし、手首も垂れ下がっていなかった。目視で、普通の状態ではない、2回目は、どういった検査結果が、出るのだろうか…。
異常があってもというか、普通じゃない時に検査をしても、結果が出なかったこれまで、今度もだろうなぁ…と、半ばあきらめていた。
病気になりたいわけじゃない、ただ、”病名のない病気” よりも、”病名がある病気” の方が、その目的に合わせた治療をしてくれる。保険適用外ということもなくなる。”結果がすべて” の神経内科的な症状は、『結果』が、出てくれなければ、それで、おしまい。
ゆえに、何か結果を出してほしかった。

検査室に入ると、一度目の時の医師と同じだった。その医師も私の事を覚えていたらしい。
一度目の検査結果は、普通ではないが、”異常”と騒ぐほどの結果は、出てくれなかった。
私の顔を見ると、その医師は、「前も刺したじゃない。またやるの?」と言った。正直なところ、憤りを感じた。「また?」って、前回と症状は、全然違うじゃない…心の中で叫んだ。

検査開始。左側上肢から始まった。
慣れた…と言っても、痺れ痛みも強力に増強していたので、唸り続けた。指先の一番痺れ痛みが強いところに、針が刺さり、力を入れて、抵抗しなければ、良い検査は出来ない、それを知っているから、”痛い” とも言えない状態だったが、”痛い”と言えば、きちんと検査をというか、針を刺してくれない気がして、唸り声も必死にこらえた。
右側上肢に針を刺しだしてきた。指先の方に移動してきて、親指の付け根を刺したところで、その医師も、私が我慢している様子がわかったのだろう。「かわいそうだから、もう、これくらいにしておこうか」そう声が聞こえた瞬間、「どこでもいいから、刺してください。ついでに、両足も変化があるんだから、刺してください!痛みには、慣れているから、お願いします」と、叫んだ。
医師は、困惑していた。困惑しながらも、左足の方が弱かったから、左足だけ刺した。いや…刺してくれたというべきだった。
今回の検査指示は、「両上肢」のみだったからだ。

検査終了。部屋も明るくなった。「お疲れさま。辛かっただろう」と、私に、医師は声をかけてくれた。
私は、「大丈夫だから」と、返事をしようと思った時だった。
「君の左側上肢は、死んでいる」と、言われた。
私は、「大丈夫」どころか、声が出なかった。ただ、聞くしかなかった。うなだれて検査室を後にした。
”結果” は、出たというか…しかし、針筋電図検査だけでは、病気の特定はされない。筋肉の異常を診るだけだから。異常は、自分自身が一番感じていたけれど、その言葉、その表現に、「あ~両上肢とも、思うように動かないけれど、左側は、もう、ダメか」と、左手を見つめながら、つぶやいた。
私にとって、これまで経験をしたことがない、”衝撃的な一言” だった。さすがに、その表現通りには、母には、伝えられなかった。
「やっぱり、左側は、良くないって」と、報告した。おそらく、その言葉ですら、母にとっては、ショックは大きく、悲しかったに違いなかった。

”負けてなるものか!”その言葉を何度も、何度もつぶやきながら、動かない、”死んでいる”と言われた、左手を必死に動かしていた。
動かすとものすごい脱力感。指は、折れ曲がった状態のまま。それでも、何度も何度もつぶやいた。
負けてなるものか!と。

悪魔が襲うときは、連続して襲ってくるものだ。
私のそのつぶやきを遮るかのように、前触れもなく・・・。

Être continué


ほとんど、笑うことがない入院生活も約一か月。心の底から笑うことがない。
病棟の看護師たちも、それに気づいている様子だ。これまでの入院では、笑っていた。どんなに痛くても、痺れが強くても、笑っていた。
「いつも、笑顔」と言う印象を、病院の職員たちは、思っていただろう。
「いつも、笑顔」が、「いつも、下を向いている」。この6年、私が一番心がけていた、「上を向いて」に反している。
上を向きたい、笑いたい。心の中のずっしりした重りが、取り外せて気持ちが吹っ切れるまで時間がかかるかもしれないけれど、必ず、その日が、ちょっとでも早く、来るように努力したい・・・。

暗い、締めくくりで、許してね!

読んでくれてありがとう (^_-)-☆


erikumako


by mp_erikumako | 2016-08-06 15:00 | 闘病記