こんにちは! erikumakoです(*^^)v
このblogを書くのは、約4か月ぶり。
昨年の10月24日から60日間、入院していました。クリスマス前に退院して、痛みやしびれがひどいのは、相変わらずでしたが、気持ちの面でも、パソコンに向かう気にもなれず、入院前には、痛くてもしていたこともやる気が起きない。特にダラダラとした生活をしていたわけでもないけれど、「何かをしよう!」という気持ちがわいてこない。だから、痛みやしびれと真正面から向き合ってしまうので、尚更、体が言うことを聞かずに、引きこもりのような状態になってしまっていた。
最近になってようやく、パソコンを開いてみたり、部屋の片づけなどできる範囲で「やんなきゃ!」と感じ始めるようになった。
約4か月ぶりにblogを更新するにあたり、引き続き「闘病記」について書こうかなとも思ったが、10月24日から60日間の入院でつくづく実感したことを聞いてほしいと思い、今回は「番外編」として、その60日間についての私の感じたことを聞いてほしい。こういうことって、どこのリハビリ病院でも同じなのか?と、問いたいから・・・。
院長交代の影響か、よくある病院の人事異動で私の主治医は、脳神経外科の医師だったが、まぁ、主治医のような先生ではあったが、リハビリテーション科の医師に引き継がれた。引き継がれてから初めての入院。私にはもう一人、麻酔科のM医師も主治医のような存在だった。前主治医の人事騒動(後日記載予定)もあり、2か月おきくらいに入退院を繰り返していたのに前回の退院から1年以上経過していた。外来でブロック注射などしていたものの、痛みとしびれが増すばかりの1年だった。私には ”限界”が見えないから、どこまで階段を上り続けていくんだ!そんな状態だった。
主治医が変わり、新しい主治医O医師からも、麻酔科のM医師からも、早々に入院の日取りを決めようという話が出た。
病棟も脳神経外科病棟からリハビリテーション病棟に変わる。数年前、脳神経外科の都合でリハビリテーション病棟に2~3回入院したことがあった。その時の印象は、病棟全体が明るい雰囲気でナースもナースとしての優しさをもち、誰が担当になってもいいな!と感じるほどだった。今回もそのつもりで入院生活をスタートさせた。
部屋に案内され、ナースステーションの隣・・・これは、車いすになりその他のこともその他のことも数年前とは、まったく自分自身の状態が変化しているから仕方がないと思った。ベッドに貼ってある担当看護師の名前を見たら、脳神経外科病棟で主任をしていた人だった。ほかの患者さんは、みんな“怖いと嫌っていたが、なぜか私とは気が合っていた人だったので安心した。”主任”というポストにいた人ということも私を安心させた。
しかし、入院当日は、(実は、それ以降もだったが・・・)残念なことに、その主任の元で勉強中の2年生ナースだった。検温だの問診だのお決まりのことをしている中で、よく言われる「痛みの段階」を聞かれた。前の病院も、脳神経外科病棟でも、1~5で、「5」は、泣き叫ぶほど、死んでしまいたいほどの痛みのレベルとナースは、判断していた。私自身も仕事上、そう認識していた。そういった意味で「5」は、数多く経験していたので、聞かれた時点の痛みの度合いは・・・「2」と答えた。それを聞いた2年生ナースFさんは、「あ~じゃぁ、あんまり痛くないんだ!」と言った。私は、唖然とした。ここで何か言わなければ、私は、”そんなに痛みのない人”にされてしまう。「だって、嫌というほど、”痛い”と言えないほどの苦痛を何度も経験しているから、それと比較したら、今は2くらい。だって、5は、死にたくなるような下見のことでしょ?」と聞き返した。ナースFは、首を傾げていた。
入院して二日目の晩、私に褥瘡ができていたので、体位変換で消灯の22時から2時間おきに、ナースが三角枕を左右入れ替えに来る。この病棟は、3交代制で8時半~16時半、16時半~午前零時、午前零時~前日の日勤のナースに戻るというシフトだった。2交代目・3交代目は、ナースが2人になる。入院して早々にいや~な感じのナースが担当になった。常に上から目線で患者への思いやりを全く感じなかった。そのナースOさんが、午前2時の体位変換に来た。私の左腕を握りしめ、持ち上げるようにした。「痛い!やめて!」思わず私は、叫んだ。しかし、握りしめられた左腕は放されることもなく、「ほら、向きを変えて!」といわれた。よろめきながら、必死にベッドの柵を手首に引っ掛けるようにして、起き上がり掴まれている左腕を払った。それこそ「5」の痛みとしびれ。ベッドの柵にもたれかかりながら、言葉も出ずにうなり声だけで固まっていた。そのうちにベッドからも落ちそうになった。そのあとすぐに浴びせられた言葉は「何がしたいのよ!車いすに移動したいの?何しているのよ!も~面倒くさいな~」だった。ヘルパーの男性もOさんと一緒に来ていたので、その人が、ベッドから落ちそうになった私を支えて、車いすに移動させてくれた。そして2人は去っていった。私を車いすに乗せたままどうするつもりだったのかわからないが、私はその場にいることも嫌で、部屋を出て、救急外来出入り口から外へ出た。外の空気が吸いたかった。外に出るには、守衛室の前を通らなければならない。守衛さんとは親しくなってはいたが、私の様子を変に感じたのか、出るときには午前2時過ぎという時間にもかかわらず何も言わなかった。部屋にいないことを逆手にとって、そのナースに探されあれこれ言われるのが嫌だったので、10分くらいして院内に戻った。その時に守衛さんが、「どうした?」。
一通りのことをざっくり話した。「痛いのはつらいよね。でも、その辛さをわかってくれないのは、もっと辛いよね。まだ、入院が始まったばかりだけど、負けないで。辛いときにはここに話に来てもいいから」と言ってくれた。その守衛さんの言葉が、とても暖かく感じ、この言葉をナースが言わなきゃダメなんでしょ!と、強く感じた。
ある朝の朝食後、薬が待てど暮らせど来ない。その日に限って体中が痛い。とにかく痛い。夜勤のナースにとって朝食後が一番多忙なことも知っていた。
迷いに迷った挙句、ナースコールをした。 看護助手が来た。「あら~!まだ来てないの?言っておくね」といいながら、足早に去っていった。しかし、待てど暮らせど来ない。再度、コールした。15分以上してようやく、2年生ナースFが来た。入口にふてくされて立っていた。私は、痛いから、「あ~やっと来てくれた!待っていたよ」と、安心した気持ちで言った。薬をカップにあけてくれるのだが、だんまりで面倒くさそうな手つきだった。体が痛いこともあったが、さすがにイラっとしてきて「そんな、黙っていることはないじゃないですか?痛くて仕方なくどうしようもなかった、患者の立場にもなってみてよ!”ごめんね~遅くなっちゃって”ってくらい、言ってくれてもいいんじゃないの?”と、言ってしまった。
「仕方ないでしょ!看護師が足らないのよ」続けて、薬が乗っているワゴンを指さしながら”こんだけ、薬を待っている人がいるのよ。あなたが最優先じゃないの!」私の部屋は4人部屋だが、みんな痴呆症の患者さん。大声でそう、一気にまくし立ててきた。呆気にとられたが、「看護師不足は、今ここでの問題に関係ないでしょ?」といったら、「ほかの部屋で間違えて患者さんが違う薬を飲んでしまって、副作用は大丈夫かとか先生や薬剤師と話し合っていたのよ!も~看護長を呼んでくる!”・・・おいおい、何があったか知らないが、看護長をわざわざ呼んでくる話じゃないだろう!
私は、一方的なことを看護長に言われても困るので後を追った。看護長は、まだ文句の言い足りないFに対し、黙りなさい!というように、抑圧していた。謝りなさいと、Fに言い、「すみませんでした」と、口先だけの謝罪に私には聞こえたが、事を大きくしたくないし、明日には主任が出勤してくるから、そっちに直接言った方がいいと思った。
翌日になり、主任に「昨日のこと、聞いた?」と言ったら、本当かどうか不明だが「昨日のことって?何かあったの?」と答えた。一通り話、主任は仕事に戻ったがそこにFがそばに来た。「まだ怒っているの?」と。呆れかえってしまった。「主任に何も話していないじゃない」「だって、恥ずかしいから」・・・バカ言え!心の中でそう思った。「あなたは、私より若いし病的に痛みやしびれもないしわからないのも仕方がないけど、歳を重ねていく中で、そういったものに悩まされ魘されたときに、”あ~あの患者さんは、こんなに辛かったんだ”って思い出してくれたら嬉しいよ。7年も8年もこんな生活を送り、どんどん悪くなる一方。痛くてたまらない、でも私には、頓服っていうものがないんだよ。でもね、”痛いのか、辛いね。早く少しでもおさっまってくれるといいけど”って一緒になって親身に考えてくれたら、それが一番の薬なんだよ。看護師の笑顔が患者にとって一番の薬なんだよ。それがわからなければ、看護師には向いてないよ。何で看護長を呼ぶ話になるのか、怒っているのは私なのに、なんで私があなたに怒られなきゃならないの!」と話した。「泣きながら、わかった、甘えていたのかもしれない。もう一度チャンスを下さい」と言ってきたから、私は手を差し出し握手を求めた。
お風呂介助の時に、主任が「注意しておいたよ。間違えて薬を飲んだ患者がいても、生きるの死ぬのの話じゃなければ、この病棟には、”モルヒネ”を服用している患者がいるんだ!ということをもっと意識して、すでに金庫からモルヒネを出しているんだから危険性もあるんだから、その場を誰かに任すとかして、患者を待たせたことは事実なんだから、誤ればいいだけのことでそんなに大問題になる話じゃないでしょ」ってね。
他にもたくさんのことがあったが、リハビリテーション病棟ということもあるのかもしれないが、ナースのほとんどが「見えない痛みに鈍感」。
しかし、麻酔科からも入院患者が入ってくるのだから、もう少し敏感になってもいいと思うが、痛みやしびれに対し、こんなに無知なのかと痛感した。
ただ退院間際に「今日は、辛そうな顔をしている。痛いんでしょ?」・・・「大丈夫」・・・「そんなことないでしょ、相当我慢しているんだろうから」と3年生ナースが言ってくれたことがとっても嬉しかった。わかってくれていた人がいたんだって。
Être continué
平昌オリンピックでフィギュアスケート男子ではワンツーの表彰台や、圧巻なスポーツが披露され日本人も依然と比較すると、表彰台が身近になってきたような気がする。生まれ変わったら、モーグルの選手になってみたいな!コブを次から次と越えて、スピードを競う。毎日騒がれているこのオリンピックも、あっという間に終わり、次はいよいよ、東京オリンピック。東京がオリンピック期間中、どういう風に変わり、どんな感じに華やかになるのか楽しみだ。
読んでくれてありがとう (^_-)-☆
erikumako